2012年11月12日月曜日

教員の仕事って究極の目的はなに??『教師論』『ごくせん』『天才柳沢教授の生活』

学生さんから「教員になりたい」という夢を聞くことが
しばしばありますので、
「そもそも教員って何?」をテーマにしたいと思います。

玉川大学出版部発行のこの教師論。
書店で販売されていない本なのでアレですが・・・
(書店で販売すればいいのに)
教師論はこの本が一番よくまとまっている気がします。


しかし、この本でも、西洋の教育の最初に出てくるのは
やっぱルソーなんだなぁ

ルソーの教育論についてはすでにまとめてある。

http://riekonaito.blogspot.jp/2012/09/blog-post_2.html

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では、この『教師論』で重要だと思うべき点を拾っていきます。
これはわかりやすいなぁ~
 
<コメント>
人間、独学でもけっこう学べるんである。
とくに、いまは、ネットがあるので、
論文もネットで読めちゃうし、動画サイトで
教育関連のものもある。
 
じゃあ、学校教育ってなによ?
といえば、環境から学ぶんである。
教師、周囲の仲間、部活などなど・・・・・
 
んで、教員はなにをすればいいかといえば
悪い環境にならないように「調整する」のが仕事なのである。
 
これが教育技術。


んで、授業はどうしたら成功といえるのかといえば
各々の学生の目標を達成できたらOKなのです。
 
そこで、実態調査が必要となる。
 
それぞれ、必要としているものが違うからねぇ~
 
(ただ、これを大学の授業でやろうとすると大変なことになる。
1コマ学生が100人以上いたら個々のニーズに全部応えるのは
どんなにがんばっても無理だ。
そこでコメント票の反応を見て功利主義的に
講義を組み立てていくことになるなぁ)
 
ちなみに、私は山形氏の新教養主義をベースにしている

 
生活指導の面では、「こうしたらいいよ」という指導するのではなくて
学生が「自己指導」できるようにするのが
究極の目的。
 
 
学生の内面に、指導者を育てることが指導者の役割なんだな。
 
タケコプターを出すことじゃなくて
免許を取ることを自分でするように仕向けるのが指導者の仕事。
 
参考資料↓
 
 
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これらをふまえて・・・今度は物語論的に
教師を見てみよう。
 
倫理学ジャンルで物語論的に
『ごくせん』を解説しているこの本をおすすめする。
 
 
 
ちなみに、なぜ、『ごくせん』がモデルになるかといえば、
難しい年頃の学生に対峙し、調整していくには
ヤンクミのフラットさが最大の武器だからだ。
 
それについてはここに↓
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/09/blog-post_2444.html

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<わたしのコメント> 
以前、週刊誌に
「いじめ自殺した女子中学生」の遺書が
掲載されていて、その内容を読んで驚いたことがあります。
 
自分が死んだら、ごくせんの新刊を供えてくれ・・・・
って書き残しているんですね。
 
たぶん、彼女は心のどこかでヤンクミ的な教員を
待ち望んでいたんではないだろうか。
 
いつも冷静で、それでいて
ふつうの先生からは見透かすことのできない
人間関係の裏の裏まで読んで
助けてくれる先生なんてのは
コミックの上でしか存在しえない・・・ということをわかっていて
それでも、そんな存在を最後まで求めていたのではないでしょうか。
 
それをふまえて この本のP154~をまとめてみよう。  
 
1)日本の物語的倫理の道具は3つある
 
*あの世的倫理
*この世的倫理
にわける
 
*倫理の起源を異世界におく
 
*貴種流離譚
 
この3つが組み合わさることで、<真><善><美>の
黄金比があらわれて、倫理的感動がもたらされるのであーる
 
この基本を前提にして『ごくせん』を読むとこんな感じ。
 
*3Dの生徒はこの世的な倫理の世界にいる
 
*ヤンクミは異世界のもの
ヤンクミの倫理観は「こっちの世界」ではない
 
*一種の貴種流離譚として機能する
 
*この世とあの世をつなぐのが亀梨和也
 
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学生と教師の関係性は縦関係だと思われがちだけど、
実は「斜め」の関係であるべきだと思う。
 
上下関係からは何も生まれないよ~
 
だからといって、学生と横の関係になるのは
教室という小さな共同体に
媚びてうまくやっていこう
という教員の甘えになってしまう・・・
 
というわけで縦でもなく横でもなく、
斜めから、学生に、
そっと良い方向性(なるべく生産性のある人生)を示唆でき、
それでいて学生の意思を尊重できる
そんな斜めの関係が理想だとおもわれる。
 
ちなみに週刊モーニングの『天才柳沢教授の生活』に
起業する学生⇔見守る教授
の話が出てくるんだけど、これは秀逸。
 
学者も起業する学生も、フィールドが違うだけで
人生の「探究」なんだ、ということ。
それを先に知っていたのは学生のほうで、
後から気づくのが教授のほう・・・っていうのがイイ。
 
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・・・・・・とこのような記事を書きましたところ
大学の大先輩IGW先生より以下のコメントをいただきました☆
 
IGW先生:確かに、教師と学生の関係は垂直の上下関係ではなく、少しズレた斜め関係なのでしょうね。まっすぐ教師が学生の前にいるのでは、学生は前に進めませんので、教師の方を見やりながらも、独自の道を歩めるような、一歩引いた立場を教師はとらざるを得ないのは確かだと思います。それと、時々学生さんにも「おお」と思わせるような人がいて、かえってこちらが学ぶことがあるのも確かで、そういう人の場合、その人がその人の道をいかに先に進めるかということが課題になるのが、平均的な学生さんよりはっきり見えやすいように思います。
 
  •  それと、私も授業ではその問題に関する複数の代表的見解を紹介しても、なるべく自分自身の立ち位置は出さない、出しても暗示するくらい、強く出たらそれはよほど機嫌の悪い日、ということで気を付けています。「ポストモダン」社会において「価値判断の共通の基盤」、言い換えると見解の相違の前提にあるはずの「公共性」の基盤をいかに形成してゆくか、これが教養の意味であるという議論は基本的に賛同したいと思います。いわば共通の「常識」をいかに再構築するか、これが今日、「共同性」ということを考えるうえで大前提になるように思います。そのうえで出てくる個々人の価値判断の違い、たとえば同性結婚の法制化の是非とか「尊厳死」法制化の是非とかいう個別的問題での判断の違いを、どう「公共性」つまり国の法制度のレベルに取り込んでゆくのか、このあたりが悩ましい課題だと思います。
  • 内藤:新教養主義良いですよね( ^ω^ )法の整備が時代の倫理から遅れてる場合もありますよね(`_´)ゞ

  •  
    IGW先生:そうですね。ネット社会の法の問題とか。それと、社会的には個々人の間での「価値の多元化」「価値観の相対性」という議論がまかり通っていても、国の法律は大多数、官僚が原案を出して国会で立法されて国民全体にあ適用され、そこでは法に内在する一定の価値観が国民全体に当てはまるものとされているわけで、国の法律レベルでは「価値観の多元化」は前提されていないという事実が興味深いと思います。(それゆえA.マッキンタイアのいう「官僚制的個人主義」社会が現出している…)
     
  •  

  • 内藤: 井川先生のご専門は、法哲学でしたよね。価値観の多様化と法律が矛盾しない方法ないんですかね?
  • 価値観の同じもの同士が小さな共和国つくる、となるとファンタジーだし*\(^o^)/*
     
  •  もはや、どうぶつの森みたいなファンタジーに*\(^o^)/*
     
  •  
    IGW先生: アリストテレスはすでに『政治学』で、善悪についての共通の知識が人間の共同性の基盤であると言っていますが、最近の「コミュニタリアニズム」が問題にするのもまさにそうした点だと思います。価値観を共有するコミュニティが国家のうちに多元的に存在するとして、そうした多元的・多文化的なもろもろのコミュニティをいかに一枚の共通の国家法のうちに統合してゆくのか、難しいと思います。連邦制の国なら州レベルと国家レベルである程度、法制度を二重化できると思います。たとえば(尊厳死、中絶、同性婚など争いのある問題に関し)個々の州ではより厳格な法規制を行うのに対して、国家レベルではより緩やかな法規制を行うということは可能かもしれませんが、その場合でも州レベルと国レベルでどの程度のズレまで可能か、難しいようにも思います。
     
  • さらに言うと、「コミュニティ」は必ずしも地域単位で成立しているのではなく、地域的にはバラバラな諸個人が、いわば内面の価値確信として持っているもので結びついていると思います。ですから「コミュニティ」はいわば現実には成立が難しい、やれば近代個人主義社会の内で世間からはずれた「アーミッシュ」のような独自の共同体にならざるをえないわけで、個々人の内面という「飛び地」においてバーチャルなコミュニティが成立し、時々なにかの会合にでも集まってお互いの結束を確認するとかいうことになるのかと思います。ですから各論的問ですから各論的問題では個人の考え方は対立しつつも、一応市民生活がなり立っているのは、価値観の相違の手前に、国家成員(のみならず最終的には人類普遍ともいえるかもしれない)共通の価値観がいわば「本性適合的認識」(connatural knowledge)として成立していると考えざるを得ず、基本的にはそうした認識に基づいて立法もされざるを得ないと思います。長文失礼しました。
  •  
    内藤: をを、アーミッシュといえば刑事ジョンブック`_´)ゞ

  • あの映画と絡めて学生にも説明したいと思います。
    コメントありがとうございました。

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