2012年12月24日月曜日

鈴木翔『教室内カースト』を読んで・・・

http://riekonaito.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5908.html

↑ここで、メリトクラシーについて説明したが・・・

学力以外のいろいろな能力が社会のなかで重要視され、
「ハイパー・メリトクラシー」ってのが
起こっているみたいです。

その解説がこの本に載っている。


つまり学歴による階級のシャッフルは
近代化によっておこったけど、
現代社会は、
「問題解決能力」やら「対人関係」の
力で階級ができている、と。

別の言い方すると、こうだな↓
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/10/blog-post_12.html

たしかに、いまの時代、古いタイプの「ガリ勉」は
クラスでも力強くないし
面接も突破できないから
いい就職口もなかなかない。

まず、この本で評価すべきなのは
「スクールカースト」という言葉を使い始めたのは
いったい誰なのか、あきらかにしていること

「システムエンジニアのマサオさん」らしい。
この人がネットに登録したそうな。
この人が既に20代後半になっていた2005年に
12歳~高校にかけての自分の体験を振り返り、
当時のクラスメイトの言葉を基礎に「スクールカースト」
という言葉をつくったそうだ。

注)「スクールカースト」という言葉
が一般化するまでの
詳しい経緯は以下のサイトに掲載されているそうです。
okemos氏にTwitterでご教示いただきました。
ありがとうございます!
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120902/p3

モヤモヤと現実に生まれているものを
ネット上の「誰か」が定義して、それが一般化する
流れってあるにはあるけど、特定できた事例って
少ないような・・・

たとえば「萌え」もネット初だと思うけど・・・
(たしかにニフティサーブの時代に生まれた言葉だ)
これ、誰発信なのか特定できていないよね?!
そのぶん、「スクールカースト」はネット発信なのに
誰なのか特定できている。
ネット発信の文化が一般にも認められてきたってことかなぁ。

あと、この本は先行研究の整理が
きっちりしているので、いじめ研究クロニクルとして
読むことができる。
また、小・中・高でグループ形成が違っていることに着目したり
実際に学生へ聞き取り調査して
細かなニュアンスを拾っているところなどは面白い。
(女子バレー部はヒエラルキー強者とか)
===================

ちなみに「いじめ」は1980年半ばにできた言葉のようです。
某いじめ自殺の事件がきっかけで、いじめ研究がはじまり
初期のいじめ研究では被害者・加害者の特徴は「よくわからない」と
されていたそうな・・・
ただ、初期の研究でいじめの構造自体に着目したのが
この本のようです。



そして、日本のいじめの特徴「コミュニケーション操作」を見出したのが
この本http://riekonaito.blogspot.jp/2012/09/blog-post_5692.htmlです。

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また鈴木翔『教室内カースト』の話に戻るが・・・
最初に気になるのは著者・鈴木氏の研究の動機なんだな・・・
いまだに学生時代のスクールカーストを引きずり続け、
劣等感について考えている、とのことだ。(P44)

そして、教師が「スクールカースト」をわりと肯定的に
捉えているという切り口で結論づけているところに非常に問題を感じる・・・。
(P265ページ)

つまりこの新書の運びはこうだ。

スクールカーストに関するインタビュー調査→
教師はスクールカーストに肯定的である・上位に媚びてる→
「教師は巻き込まれているけど
 僕(著者・鈴木翔)はいじめられっ子の理解者だし、
 学校なんて一時的なものだから、行かなくても
 大検取ればいいじゃん」的なまとめで終わる。

著者、教師に理解されなかったトラウマでもあるんか・・・?
ってか、著者は博士課程在学中の学生なのか。
これ、一度でいいから教職に就いてから
書くと違ったものが見えてくると思うぞ・・・。

あと、女子校のヒエラルキーは完全に
違うので、女子校独自の文化は
辛酸なめ子の『女子校育ち』を参照したほうがいい。
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<私のコメント>

たしかに、学生のスクールカーストに巻き込まれている教師はたくさんいるが・・・

「上位」の体育会系や派手なグループの「コミュニケーション能力」を評価し、
「下位」を「コミュニケーション能力なし。かわいそう」と解釈する
たった数人のDQN教師への聞き取り調査を
研究に反映しないで欲しいんだよー!

特に、P257の「加藤先生」の意見が酷い。
「将来は自己主張して勢力関係の上位についてもらうような
能力を育成することができればいいと、そう思います。」だって。
オワッテルよ・・・。

調査に協力したDQN教師も、
教室という惑星から出たことない人が多いので
このような忌々しき事態になってしまうのだ。

大学→即、教員として就職

・・・というルートだと、教室という惑星から
違う教室という惑星へワープするだけなんで
スクールカーストの価値観以外の価値観があることなんざ
知る由もないのだ・・・。

宇宙は無限なのに。違う小宇宙には全く別の価値観が
存在することを知らずに、スクールカーストを肯定する教員が
いじめを助長しているブラックホールと化しているような気がする。

人は「場」が違うだけで、まったく別の価値を生み出すんだなぁ。
たとえば、スタジオジブリや海洋堂のスタジオに
DQNが放り込まれたら何の価値も持たない。

逆に、アニメーターを中古車販売会社で働かせたら
何の価値も持たない。

教室という場では(仮)で力の強弱が形成されているが
それはたんなる一時的な動物的な強さ・弱さであって
適材適所に人を振り分ければ、価値のなかった人が
輝き、逆に威張り散らしていたものが委縮する世界もある。

その広い視野を与えるのが教師の役割なのだ。

第5章の結論「教師はスクールカーストを肯定的に捉えている」
「これから社会に出ることを考えればスクールカーストがあることは
望ましい」「なぜなら自分の能力の足りないところが見えやすく
改善していけるから」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんて書いてあるところに
憤りすら感じてしまう。

教員だって、運営のために
スクールカースト上位に媚びてご機嫌とったりすることもあるだろう。
それが、効率の良い教室運営だったら仕方ない。
これは実際に現場に出たらわかる。

しかし、もっと先を見据えて人を評価している先生だっているよ。
スクールカーストの下位だとされている学生が
なにかのきっかけで才能を発揮することもあるだろうと考えたり、
小さな惑星にすぎない「教室」には入りきらない
人間的器の「大きさ」を持った学生なのではないか?
と違う側面から考えていることだってあるよ・・・

ってか、スクールカーストが形成されるのは
たかだか6年~8年だよ。
たんなる一時的な発達過程だな、と解釈してしまう手もある。
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/08/blog-post_20.html

オトナになった学生から順に「スクールカースト」がバカバカしくなって
その価値観から抜けている。
それを傍から見て「あ、成長だな」と密かに思っていることもある。

というか、古市氏http://riekonaito.blogspot.jp/2012/11/blog-post_7835.html
の帯のコメントが笑える。

「翔くんは、小学生のまま大人に
 なったような人だ。(中略)
 子どもの気持ちがわかる、
 本人も子どもっぽい気鋭の教育社会学者の誕生だ」

・・・・と帯に推薦文を書いてもらっていて、それを全文載せている・・・。
これ、傍から見ていると、
いじめられっ子が卒業アルバムの余白コーナーに
「いまだに子どもっぽいヤツ ベスト1(ワラ」として選出されて
クラスメイトにコメントもらって、それを「褒め言葉」だと勘違いして
大切にしちゃっている感が否めない・・・。
=========================
<私の意見>

たぶん、スクールカーストという言葉を定着させると
その言霊自体が原因となって
いじめの温床になりかねない。

せっかく、「島宇宙」として
「体育会系」「オタク系」「DQN」も
力の上下なく同じ「島」であるという
イメージができつつあるのにhttp://riekonaito.blogspot.jp/2012/05/blog-post_7140.html
またそこで上位・下位に拘るとそれこそ逆戻りというか・・・。

スクールカーストという言葉はいったんオワコンにしてしまい、
(「かまやつ女」「嫌消費世代」がアッという間にオワコンになったように「スクールカースト」自体をオワコンにしたい)
「若者文化の島宇宙化」をもっと推したい。
島宇宙、という言葉を浸透させることで、
「いじめ」自体がオワコンになり
「異文化理解」「複数のユートピアのための枠」と成長できるからだ。

ユートピアは、複数のユートピアのための枠であって
そこで人々は自分自身の善き生のヴィジョンを追求し、
それを実現する・・・のイメージはこちらです↓
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/09/blog-post_231.html

オタクの多い校風ではわりと、
この「複数のユートピア共存」が
成立しているような気がする。
好きなジャンルやアニメが違うだけで、
まったりしているというか。

というか、そもそも論だが。

スクールカーストという言葉を創ったのは
いま・ここ・現在に若者として生きている
90年代生まれじゃないよ!!

「システムエンジニアのマサオさん」が
20代後半だった2005年に
自身の12歳~高校にかけての体験を振り返り、
クラスメイトの言葉を基礎に「スクールカースト」
という言葉をつくった

のである!ということは、すでに旧世代の遺物である可能性が高い。
ちょうど、新書を読んだり書いたりしている旧世代が
「スクールカースト」に関して熱くなっているような。

80年代生まれの著者・鈴木氏が
旧世代の価値観のトラウマフィルターを通して、
いまの若者を「上位」「下位」に分けているだけであって、
多元的自己を持つ
90年代生まれは、もっと賢く、スマートな印象があるのだが。
オタクとヤンキーの区別もだんだん曖昧になってきて
オタクも第四世代だと差別少ないし。
いまでは「リア充**しろ」という言葉自体が
コトワザ化して、境界線も破壊されつつあると思います。

90年代生まれについて
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/10/blog-post_29.html

90年代生まれについては、ひき続き追求していきたいです。
 
☆追記☆
 
小器用なコミュ力<<<いっそのことギーク
 
という価値の転換が起こったのは
この映画がきっかけのような気がする
半端なリア充エドがカッコ悪くて
コミュ力0のマークがカッコ良く思える不思議な映画。
 
ってか、ネット社会になると
 
半端な三次元適応能力<<<いっそのことネットの世界の広大な海を泳ぐ
 
・・・になるのかもW
 
==========================================
 
☆以下は、Twitter経由で
寄せいただいたコメント
 
☆ASANOTmohiko先生より
最後の部分で多元的自己への言及があるが・・・
評者は多元的自己を90年代以降生まれの世代に見て取っているが、
データから見ると若者の間で自己の多元性が顕在化するのは
遅くとも80年代の終わりくらいかなという印象
(したがって60年代末〜70年代初頭生まれの世代から)。
その後、90年代から00年代後半にかけて、
自己の多元化が強まっていく傾向を示唆するデータもあるので、
ある世代までは一グループにすぎなかった「多元的自己派」が
90年代生まれにおいて主流派(デフォルト)になるという解釈も
ありえるかもしれないが。
また世代の効果と年齢の効果、
さらに時代の効果を合わせて考えてみる必要もあって、
興味深い課題ではある。
ちなみに私自身が象徴的な出来事だなあと思っているのは、
1990年代初頭にヒットした『24人のビリー・ミリガン』と
それに少し遅れてやってきたアダルト・チルドレン・ブームですね。
そういえばオタク論が乖離(多重人格)系の議論に接近するのも
1990年代半ば以降という印象。
例えば中島梓さんは『コミュニケーション不全症候群』では
乖離に言及していないが『タナトスの子供たち』では
「やおい少女」を説明する要因としてアダルト・チルドレンとセットで中心的に用いている。
で、オタク=乖離論は、斎藤環さんなどによって媒介=増幅されながら
00年代前半の東浩紀さんや大澤真幸さんの議論へと流れ込んでいく、と。そんな感じ。
 
私のコメント)なるほど~
アダルト・チルドレン・ブームありましたね。
↑ここでクリストファーノーランがやろうとしていたことは
アダルトチルドレンとしてのバットマン(90年代)VSジョーカー(ゼロ年代)かも。
 
☆kei nさんからのコメント
高1ぐらいのとき、僕もスクールカースト上層とちょっと仲良くしてたんですが、
その「リア充」の一人(文化祭ステージ部門で司会とかやるタイプ)の子が
「俺はパンピーとは付き合わねぇ」と言ってて、
(うわっ、くっだらねー……)と思ったりした。
その彼らも大学に入ると「大学に友達いない、今は引きこもり自慢」と
「大学デビュー批判」 (=俺は高校の時は充実してたんでお前らとは違うんだアピール)
 とかを始めてて、「どうしてこうなった」と思ったりしました。
でも最近のスクールカーストネタの小説や映画では、
「最下層に位置づけられた者の逆襲」よりも、
傍観者的立場からのアンビバレントな記述のほうが
          表現としての力が大きいなーと思ったりします。                            
スクールカースト小説といえばそれこそ古くは
ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』から、スティーブン・キングの『キャリー』とか、
海外においても検討対象はいろいろあるのになーと思ったりします。自分ではやらないけど。
 
私のコメント)
後日、スクールカースト小説に
ついても
ブログでまとめました↓コチラ
 

 
キャリーについては・・・
来年リメイク版も出るみたいで。

旧作:1976年

新作:2013年
 
旧作と新作のキャリーを比較してみると
アメリカのハイスクールの変化がわかるかも。

 
 
↑キャリーリメイク版の新作はこちら 
しかもキャリー役がヒットガールだ!
 

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