2014年8月19日火曜日

【シリーズ・ヤン序を読む7】映画『国道20号線』を「辛いほど福音」という宮台先生

ヤンキー論考察中間報告
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+前回(続き4)の反応
氷川博士
おお!キューベーの世界に突入している。古い哲学で言う観察者だわね。
この観察者が巨大化して魔女化したものが一般意志だったりするとおもう。
キュレーターの原義は、図書館とか美術館で展示をする人たちのことだけれどもね。
これを観察者と言う物理学用語で捉えると面白いことになってくるわね。

そして、今回はその続き===============
『ヤンキー文化論序説』


























宮台真司
永江朗
酒井順子
都築響一
成美弘至
近田春夫
磯部涼
森田真功
暮沢剛巳↑ここまで読んだ
=============
五十嵐太郎↓ここから読まなきゃ
宮台真司(2)
阿部真大
大山昌彦
飯田豊・南後由和
速水健朗
後藤和智
斎藤環
飯田豊

今日は本書の編著者、五十嵐太郎氏の章です。
五十嵐氏は建築批評家で、
ヤンキーがバロックを意識しているかといえば
してないだろうけどヤンキー的なものを「バロック」として
文化的に評価している稀有な批評家です。

五十嵐太郎氏の章===============

1)彼が先行研究として挙げているのは都築響一氏の
改造バイクの写真集である。
改造バイクにも地域性があり
チバラギではロケットカウルの高さ、
福岡ではカラーに凝る、
関西では派手なシートをはる。

2)ここでいきなり五十嵐氏の専門の建築の話に。

いわずもがなル・コルビジュエはモダニズムの機能主義にとって
最高のモデルであった。


建築批評家から見ると、ヤンキー的の改造車は
モダニズムが切り捨てた「シンボリズムの体系」を再導入した
ポストモダンに見えるそうです。

3)五十嵐氏の偉大な業績は
ヤンキーの造形を建築批評の側面から
文化として正面から評価したことでしょうな。
作っている側本人からすれば
「バロックとはなんだ??」ということにもなるだろうし
そこらへんのズレが面白いんだけど
結果的に建築批評家がバロックといえばバロックということになるだろうし、
そこらへんを突破口として


が再評価されていけばそれでいいのではないかと。

4)その後は、反対側から、つまり「建築家の中でヤンキー性のある
建築家は誰だ?」という話題になっているので(かなり詳しく内情が分かります)
興味のある方は本書をお読みになればいいのではないかと思います。

ということで、次の章に移行します。

宮台真司氏が映画『国道20号線』について語る章==

1)この章、映画批評やヤンキー語りに見えて、
実は宮台氏の「自分語り」なので、どう読んだらいいのか謎なんだけど
やはり80年代〜90年代にフィールドワークをして
スタァになった学者さんが何を感じて
どうしてフィールドワークを「やめた」のか?
を知っておくことは「何がしかのヒント」になるに違いなく
やはり必読かと思いまして…

2)宮台氏が衝撃を受け、10回以上観たという映画は
以下になります。(以下の動画、スマホで表示されない場合はPCで)
以下の映画に「失われたパラダイス感」を氏は感じたそうです。


3)宮台氏がフィールドワークをやめたのは96年のことだそうな。
宮台氏が援助交際に関するフィールドワークをしていたけれども
そのあたりを境に大都市圏と地方の「援交」に差がなくなり、
若者の内面にも変化が見られたというが…?

4)そのあたりから若者の願望水準すら低くなって
まったく喋ってくれない…だから宮台氏は
フィールドワークをやめた
という話になる。

5)最後は映画『国道20号線』を観た宮台氏が
そこに自らの青春(フィールドワークの思い出やその時の感覚)
を見いだし、ただただ感傷的になるという特異な
論の締めになっている。

あまりにも感傷的なので、論文というよりは
彼のフィールドワークエッセイのようなものになっている。

この論の締め部分↓
そこには映画が描く世界があるのではなかった。
映画に描かれた「世界」がとりもなおさず自分の「世界」だ−
そう感じる体験があった。或いは、普段は忘却したままの
自分が生きる「世界」のことを、映画が告げ知らせてくれる。
辛ければ辛いほど、それは福音なのである。

…とのことですが、
宮台氏のロマンチストぶりは凄いなぁ、と。
彼はエリートとして生まれ育ったがゆえに
彼の生活圏外のものの生活や苦悩にロマンを
見いだしていたのではないのか?
彼の「影」が投影できるような
相手へのインタビューにはモチベが上がったけれども
彼の望むようなロマンと別種のものが立ち上がってくると
とたんに「面白くなくなった」とやめてしまった印象が…。

私の感想=======================

いまのヤンキー層には「パラダイス感がない」「居場所がない」
だから辛い…というのが宮台氏の論だが
(地方に新しいパラダイス感が
 形成されているのも気がついていない)
やはり、インタビューがうまくいかなかったことに絶望して
96年でフィールドワークをやめてしまった宮台氏の感覚は
96年で固まったままであり、本書ではあきらかに浮いている。
でも、それが本書に掲載されているということは
そこにこそ重要な意味があると感じる。

宮台氏のフィールドワーク停止ですが…
たぶん、若者が願望や内面を喪失したと考えるよりは
インタビューする側の年齢や価値観と
インタビュー対象の年齢が
「離れすぎて」共通基盤がまったく無くなったと
考えたほうが妥当だと思います。

「若者がしゃべらなくなった」と嘆くよりも
時代に併せてインタビューの手法や質問を変えることで
もっと引き出せるんじゃなかろうか?とも思える…

調査する側の感覚と若者の背景にあるものが
少しづつズレていき、ついには見失った過程のように思える。

もしくは宮台氏の調査対象は「トンガリキッズ」的な
女子高生であったゆえに彼と彼女らは共通基盤があったから
話ができたけれども、
エリート高校、東大、そのまま東京で就職
の宮台氏と地方のヤンキー層はあまりにも
離れすぎていて、調査の糸口すら見えてないような気も…。

その代わり、新世代の社会学者の阿部氏は
岐阜出身(高校まで岐阜)だけあって
糸口は見えてはいる気が。

↑この『地方にこもる若者たち』は読んで行くと
「ツッコミどころ満載」だけれども
フィールドワークを放棄して90年代の言説に留まっている
旧世代よりは先に行こうとしているような気がします。


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