2014年12月16日火曜日

『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』を読む<その1>

数年前に『ロスジェネ心理学』を書かれた精神科医が
http://riekonaito.blogspot.jp/2013/01/blog-post_8522.html
新刊を出した…とのことで
さっそく読んでみました!

こちらの本です。



前作の『ロスジェネ心理学』は
ロスジェネ✖️心理という
ニッチ✖️ニッチなところを
狙って書かれていて、精神科医としての専門性も感じられ、
「なるほど」「読んでよかった」と思うところが多かったが…
今回の新刊は「既に社会学系論客で語られ尽くされた領域」が
多くを占めていた。

それでもなお、読んでいくならば
ここ数年間に語られた若者論の
「まとめ」として読めばいいかな。
実際、よくまとまってます。

あと、「ファスト風土」のステレオタイプの
レッテルを剥がすための
努力の軌跡が4章で読めるので、
むしろ、こっちをメインにして本を書いて欲しかった。
「ファスト風土で精神科医をしている」という
「著者ならでは」の立場で、
なおかつ「新規性のある書籍」を書くのならば
むしろ、こちらをメインに据えて欲しかったなぁ…。

以下、各章を具体的に読んでいきます============

「はじめに」の章を読んでみる

1)2000年までは「ヤンキー」「サブカル」「オタク」が
若者文化の趣味生活を指す言葉として現役だったが、
いまは終わった(というか希釈&拡散)
その代わりにそれらのジャンルの薫陶を受けたコンテンツは花盛りである、
というのが本書の前提。

2)一方で、かつての「サブカル」「オタク」「ヤンキー」はどうなったか?
という話について…著者の熊代氏曰く…(以下)
「元」をつけて生きている場合もあれば
「夢をあきらめきれないままシーンやイベントにしがみつき
 なし崩しに年をとっていく人もいる」
「若い世代からうるさがた扱いされている人さえ見かける」
「歳をとれば尖り続けることはできない」「流行が直感できなくなる」
→「だから、諦めて、いまのリア充見習え」圧力
という流れに…

<以下、青文字部分は私のコメントです>

これを読んで、納得するロスジェネ世代は存在するのだろうか?

そもそもリア充とそうでない人は
「資質」の問題であり、後発的に学んで
リア充側に転向できる類のものではないのです。

これは、「個人の自由」だろうに、
なぜわざわざ圧力をかけるような内容にしたのか?
信教の自由と同じように、趣味の自由もあるのに。
何を素敵だと思い、何に幸せを感じるかなんて千差万別だし、
私は、もしも80代や90代のゲーマーやアニメ鑑賞者がいても
本人がそれで幸せであり、心が豊かになっているのであれば
それを否定するようなことはしなくてもいいと思います。

10代で演歌や浪曲、盆栽を素晴らしいと思う若者がいてもいいし、
90代でゲーム、アニメを素晴らしいというシルバー世代がいてもいい。
そのような個性を認め合える社会になれば素晴らしいと思う。

というか、オタクカルチャーが
下位文化っていう考え方自体が、もう古いと思う。
(本書で「上位文化」「下位文化」を二元論で語っているのが
 どうもモヤモヤする)
かつて若者文化であったオタク文化は
いまや「文化」(正統)になるまで
昇華された存在だもの。
オタク文化が若者文化の粋を超えて、文化として
昇華されるまでに、命をかけてアニメ・ゲームを
世に送り出したクリエイターの血と汗と涙が存在しているわけですが…

本書は、そこがまったく見えてないと思うし、
クリエイターの作り出した作品への愛や
クリエイターへのリスペクトがまったく感じられない。
作品⇄鑑賞を単なる「コンテンツ消費」という言葉で
斬ってしまっている本書には
体温が感じられないのです。

なぜ、著者は「コンテンツ」と呼称される存在が

「生きている人間が命懸けで苦労して作った『作品』である」
という至極シンプルなことがわからないんだろう?

ゲームやアニメも人間が作っている。
油絵や日本画を画家が描いているように、
ゲームやアニメも一流の制作チームが命を削って作っている。
そのクリエイターの心意気、匠の技、アイデアの妙意に
感動するのに年齢や性別なんて関係ないよ。

ゲーム・アニメ・サブカルは若者のもの…

という著者の考え方自体が狭いと感じてしまいます。
そこに優劣をつけること自体がもはやナンセンス。

絵画を鑑賞するかの如く、総合芸術としての
アニメやゲームを嗜むこともできる時代でしょうに。

基本的に、この本のスタンス
「僕も年をとって、シューティングゲーム引退したし、
尖った趣味生活もできないから、
みんなもそうしましょうよ」は、納得ができません。
もし本当にゲームを愛しているなら、腕前が鈍っていても
シューティングゲームをプレイすればいいし、
シューティングゲーム文化に貢献できるような
活動なりを始めればいい。
(シューティングゲーム博物館をつくるなり、
 シューティングゲームをアートの領域まで高めることが
 できるような活動、またはクリエイターやプレイヤーへの支援など)

そもそも、著者はシューティングゲームを本当に愛していたのか?

高スコアが出せなくなり、引退したからといって、
周りに同じスタンスを求めるのは八つ当たりにしか見えない。
それこそ、著者にとっては、著者がサブカル・オタクを評する時に
使う表現…「かつてコンテンツ消費でアイデンティティを買っていた」
という思いしか持っていなかったのかもしれないけど
「自意識の問題とは別次元で
アニメやゲームを心から愛している者」も
いるんです。

「自分がこうだから、他人もこうだろう」と推測で論を展開している…

つまり自分と他者の動機混同をしている
あたりに、「人が人を分析することの限界」を感じてしまう。

私は日本のクリエイターたちが
作り上げてきた作品群について
「消費者の自意識の問題」に矮小化されて
語られることが我慢できません。

もっと「文化」というものの価値を認められる世の中になること、
多様な個性や、趣味や、生き方を認め合える社会になることを
願わずにはいられません。

追伸:なんだかんだとコメントしていますが、
4章のファスト風土の「レッテル剥がし」章は共感する点も
ありますので、しばらくこの本のレビューを続けようと思います。

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