2015年2月14日土曜日

筋肉少女帯の「いくじなし」の意味が突然理解できたかもしれない日記

昨日の午後、突然に、筋肉少女帯の
往年の名曲「いくじなし」の
曲の素晴らしさがビビビと
理解できたのでした。

「いくじなし」の歌詞は↓
このサイトで読めます
http://j-lyric.net/artist/a002b56/l010bf2.html


名曲「いくじなし」を聴きたい人は
このCDを聴いてね↓



ここのところ
オーケン=サブカルのカリスマ
オーケンのファン=サブカル少女(ヤンデレ含む)
イメージが定着して久しいですが、
本日、久しぶりにこの曲を聴き直したところ
あえてそこを問い直したくなってきました。

オーケンは文学なのではないか?

太宰芥川オーケンみたいな並びでもいいのではないか?
とまでも思えてきたのです。

というのは、これまでずっと「いくじなし」の曲は
そのままストレートな物語と解釈していて

ケンジくん=少年

姉=少年の姉

姉の恋人=青年

ケンジくんと青年がアンテナを売りに行く…
(アンテナ売りは何の比喩なのかわからない)

という前提で曲を聴いていて
「聴く人をケムにまくような物語」だなぁと
思っていたのです。

しかし、今日、「いくじなし」は
以下のように歌詞を読み替えれば
すんなり理解できるなぁ、と思ったのでした。

ケンジくん=クリエイターの比喩(あるいはミュージシャン)

姉=クリエイターの中にあるクリエイティビティの比喩
というかゲージュツそのもの

姉の恋人=クリエイターの作品を
     商業主義に乗せる人、ギョーカイ人の比喩か?

アンテナ売り=商業主義

いや、もっと曲解してもいいかも。
(以下、曲解というか深読み)

ケンジくん=オーケンの中の純粋な心

姉=文学性、ゲージュツを追い求める純粋さ(狂気に近い)

姉の恋人=オーケンの中の「オトナ」な部分、処世術、世の常識

アンテナ売り=ゲージュツ的な活動以外の「営業」や「生活」のこと

だから、オーケンの内面の葛藤のことを
歌にしたのではないか?とも思える。

姉のお葬式の日にやってきた…という歌詞は
姉というヤヴァいけれども美しいものが自分の中に
あったからこそ、評価され、商業的にも成功したけれども
それで生活を維持するにはオトナにならなくちゃ、
まっとうに生きる、ということは
そういうこと(アンテナ売り的なことをする)
なのだと自分に言い聞かせる…という
歌なのかな。

アンテナ売りの日々の中で姉さんに似た人に出会う
くだりとかスゲェーとか思った。

ふと「姉さんに似た人」(昔の自分の中にいた何か)
を思い出して
気になるけど、兄さん(自分の中の常識)
に叱責される…
でも人間の本質はその葛藤でできているから
自分のそのような葛藤すら許容する…
っていう心の機微とか描けるなんて凄いな。

「葛藤そのもの」を歌にすると
それがまた美しい歌になるのだから
やはりオーケンは文学性が高い、
というのが昨日思ったことです。
(注:歌詞を勝手に解釈しているだけなので
 この解釈が的外れであったらすみません)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ネットが一般化する以前、
ミュージシャンを含めすべての
クリエイターの作品は
「ある程度あたたまったもの」しか
広く一般の目に触れなかったのであります。

ほんとに尖ったものを知っているのは
本場の現場の人だけだったんだと思う。
(行ったこともないし見たこともないけど
 東京のピテカントロプス的なところとか
 インディーズのおっかけしていた人とか)

現場の人たちの中から面白いものが
パッケージ化されて地方の者(私とか)
に届くわけです。

90年代はそういったものの宣伝も
うまくいっていて
「この歌手(作品)を知らないとダサい」みたいな
風潮が出来ていた。

しかし、いまはネットでメジャーデビューする前に
広くいろいろな人に作品を見せる人が出てきて
むしろネットで作品に人気が出たらデビューみたいな
流れも出てきた。

こうなると、メジャーデビュー以前の作品と
その後の作品の熱量とか比較できてしまう。

メジャーデビュー直前にピークがくるクリエイター、
メジャーデビュー一作目だけ凄いクリエイター、
それはミュージシャンに限らず
俳優さんとか漫画家とか作家とか他にもいろいろな
パターンがあると思うんだけど…

ごく稀に「メジャーになってもずっと新鮮」っていう
人たちが存在して、その人たちが
息の長いスタァになっていくのだろう。

いや、息の長いスタァでも
「アンテナ売り」がうまいから
たとえ初期のファンが離れていても
アンテナ売りで一生やっていく人もいる。
「いくじなし」の歌詞の中の
「TVがないような村でもアンテナは飛ぶように売れ」
というのは、作品を理解するだけの感受性の無い
人たちに対しても作品が商品として売れていく…の意味かな。

しかし日々先鋭的で、日々創造性に溢れた人がいたら
それは本当にギリギリの人
(オーケンの歌詞の中でいえば姉のような人)
なんだと思う。
「まっとうに生きていくこと」と「姉」を
一人の人間の中に
共存させるのは
さぞかし大変なことだろうと思う。

作品を楽しむファンとしては
クリエイターの中の「姉」と「姉の恋人」と
その葛藤までもを受容して、応援しないと
クリエイターの中の「姉」の部分も
見れなくなってしまう。

つまり、ネットによって様々なデビューの
チャンスも爆発的に増えたの
だろうけれども、同時にネットによって叩かれる
ケースも増えてしまって、その結果
「叩かれないことを前提にした無難な作品」が並ぶように
なったら世の中アンテナ売りばかりになってしまう。

で、話は変わるんだけど。

今回思い出したことは
かの松田優作氏の言葉で、
かつて彼は
「自分をつねにマイナスの状態にしておく…」
と言っていたと思う。

あえて常にハングリーな状況に追い込まないと
人は簡単にアンテナ売りになってしまい
お金を稼いでニコニコしてしまう。
そして、そもそも初心において
何を表現したかったのか、も
忘れてしまうのだろう。

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