2015年6月2日火曜日

現代盆踊り考 〜「盆踊り」を深く掘り下げるための読書&論文案内(JBへのインタビューもあるよ)〜

初夏ということで、
これから夏に向けて盆踊りの予習をしたいと思います。

まずは、私の回想から…

脱宗教化する盆踊り
夏になると思い出すことがある。
私は研究者になる前は似顔絵を描く仕事をしていたのだが、
ある寺のお盆の宵祭りに招かれたことがあった。
一晩に五十人ほど描いただろうか。


かなり盛況だった。が、何と言っても夏祭りのメインイベントは盆踊りである。
その宵祭りでも境内に組まれた櫓を囲んで百人以上の参加者が楽しそうに踊っていた。
曲目はアニメソングが中心、
軽快な『ヤットデタマン音頭』が繰り返し流れていたことをよく覚えている。


こうして改めて聴いてみると
名曲だなオイ…

盆踊りに限らず、最近の日本の祭は、かつての祭とは、
そのスタイルだけでなく、「意味合いそのもの」も
違ってきているのではないか。
例えば、全国で繰り広げられている「YOSAKOI(英語表記)」は、
高知県の「よさこい祭り」をヒントに脱宗教化した祭であり、
一九九〇年代から全国に広がった。



YOSAKOIに参加した名古屋の中京大学の男子学生は刺激を受け、
一九九九年から名古屋で「どまつり」を開催。
今ではすっかり定着している。


愛知県は「新しい盆踊り」が発祥する土地柄でもあるようだ。
愛知県東海市では「無音盆踊り」
(携帯ラジオを持参して、電波を受信して踊る。
端から見ると無音で集団が踊っているように見える)が起こり、
また、二〇一〇年からは「スリラー盆踊り」なるものが名古屋から誕生、
東京にも派生した。

(「スリラー」とはマイケル・ジャクソンの有名な曲。
ゾンビが墓から這い出してダンスを踊る
プロモーションビデオでも知られており、
それを模した盆踊りが創作されたのだ。なんとも奇抜である)

元ネタはこれ↓


これはあくまで推論だが、江戸時代の尾張藩では正保年間から
若者組を藩の下部組織に構築し直した。
ゆえに伝統的なものとの断絶が起こったのではないか。
地域の風習の担い手は若者組であったからだ。
伝統とは無関係な「斬新な盆踊り」が編み出された背景には、
こうした歴史も影響しているのではないか。

『ダンシングヒーロー』が大人気⁈
祭の脱宗教化についての先行研究は『現代人の宗教』 (有斐閣)に詳しい。

この本です↓






本書によれば、「伝統的祭りの復興」「観光」

「市町村主導」「商工会主導」など、
現代の祭は目的も主催者も多種多様である。

すべてがそうとは限らないが、地域社会の解体が進む昨今、

地域の再活性化、統合などを目指し「イベント性」を
強めた形で盛んになっているのが今日の祭りなのだ。

つまり、祭の目的が「宗教的なもの」から

「町おこし的なもの」へとすり替わったという。

主催者も「祭り保存会(地元中心)」

「振興会をつくり維持している伝統保存型(企業を取り込む)」
「行政組織主体」「住民主導」と多様化。

企業を取り込む場合は派手になり、

より神仏と切り離されることとなる。
また、行政組織主体の場合は「政教分離」の原則によって
神仏が排除されることになる。

祭から「神仏」というシンボルが切り離されたとしたら、

祭の形態や意義はどうなっていくのか? 
主催者は「何か面白いもの」を企画してくれそうな
イベント会社に知恵を借りる(業務委託する)ようになるのではないか。

というのも、私の友人が、かつてイベント会社に勤務していたことから、

そうした実態をしばしば聞いていたのだ。
今回、その友人J(愛知県尾張地方在住、三十五歳・女性)に、
さらなる詳しい話を聞いたところ、
意外な答えが返ってきた。以下のようなものだ。 
 















(友人J・35歳)

Jの話は以下の青字部分
  「現代のお祭りで一番盛り上がるといえば、
餅投げか、もしくは抽選会でしょう。
いまは自治体だけで祭りを取り仕切るのは難しく、
かつて私が勤務していたようなイベント会社に委託しているケースが多いです。
しかし、『盆踊り』に限っては別です。
地元自治体や町内会のメンバーでのみで行うことが可能なのです。
よほど大規模なものではない限り、
地元の住民同士の繋がりで綿々と続いています。

もともと私は祭が好きだったこともあり、イベント会社の仕事とは関係なく、

町内会の盆踊りには物心ついたころから毎年参加していますが、
ここ数年は参加者が増えています。

うちの町内の場合、寺院や神社とは関係なく町内会主催で公園を使用し、

曲目は、そのほとんどがアニメソングです。
定番の曲目は『ドラえもん音頭』『踊るポンポコリン』ですね。
ただし、これら定番を大きく上回る大人気の曲が存在しています。
それは、荻野目洋子の
『ダンシングヒーロー』です。
(注:愛知県尾張地方独特)



この曲で参加者が盛り上がる様は、櫓を囲む輪が一気に三重に膨れ上がり、

会場が急に狭く感じられるほど。この地方の盆踊りでは、
あまりにも『ダンシングヒーロー』で盛り上がるため、
ついに荻野目洋子本人が隣の市を訪れたという逸話もあります。

アナウンスで次の曲目が『ダンシングヒーロー』と放送されると、

会場から歓声があがります。

振り付けに関しては、一番内側の輪に地元の民謡クラブの女性陣がいるので、

参加者はそれを見て踊ったり、さらにはアレンジしたりすることで継承されています。

おもしろいのは、アレンジしていくうちに、

若い世代は独自の振り付けを混ぜてしまうので、
世代によって振り付けが違うこと。
かつて流行した『パラパラ』のような踊りも見られます。



アイスとかき氷が無料配布されますし、参加しない理由はないです」


…とのことだ。
現代日本では地域共同体の崩壊が危ぶまれているが、
人々の「楽しいイベントに参加したい」
という気持ちは昔から変わらないようだ。
 
盆踊りの変容
盆踊りの変容に大きな影響を与えたのは、「東京音頭」の大流行である。
東京音頭は東京だけには留まらず、地方でも流行した。
(レコードが普及し、「音頭とり」がその場に行く必要が無くなった)
詳しくは上田誠二の論文「音楽教師から敵視されたメロディの教育化」で
分析されている。

一九三三年に流行した「東京音頭」は、

当時の音楽教師が眉を潜めるようなナンセンスなメロディであったが、
それがむしろ満州事変後の時勢の大衆の心掴んだのではないか、
と上田氏は分析している。

さらに一九三九年にはその流行を

「建国音頭」に塗り替えようとした勢力があり
(その勢力が指導員を全国に派遣した)
時勢によって盆踊りは変容していったのである。




もともとは伝統芸能や声明が混じり合ってできた「音頭」が、
民意の扇動に使用されようとしたのだ。
それだけ盆踊りにパワーがある、ということだが。 

また、自治体の思惑によって消えた盆踊りもある。

狩野春江「忘れられた伝統文化の復活-元城盆踊りの変遷と
西馬音内盆踊りとの関係について」によれば…
もともと秋田県羽後町には「西馬音内盆踊り」(重要無形民俗文化財)、
「元城盆踊り」が存在したが、後者は大正以降、消滅した。
「元城盆踊り」は昭和五十一年に地元の有志によって復興したが、
囃子がわからず「西馬音内盆踊り」から借りてくることになったという。

 しかし、そもそもなぜ「西馬音内盆踊り」の影に隠れて
「元城盆踊り」が消えたのか。「西馬音内」が国の指定を受けたことによって、
町当局がこれを推挙して、「元城盆踊り」の存在を観光パンプレットから
削除するなどしたからだという。
お囃子自体に「文化財的な価値」が見出される場合は、
それが手厚く保護されていくが、
そうでない場合は消滅の危機にさらされるわけだ。

↑西馬音内


↑元城盆踊り



もともとの盆踊りと慰霊の繋がりとは?
ここで、もともとの盆踊りの意義を考えてみたい。
現代においても、宗教儀礼と盆踊りが結びついている事例の調査報告がある。
壷井裕子「新野の雪祭りと盆踊り」(二〇〇五年)である。
長野県の「新野の盆踊り」は民俗学上では有名な盆踊りであり、
著名な民俗学者・折口信夫が調査したことでも知られる。 

新野の盆踊りは八月十四日、十五日、十六日に開催されるが、
最終日の儀礼が寺院と結びついているのである。
それはこのようなものだ。十六日になると初盆の家のキリコ燈籠が
櫓のまわりに取り付けられ、踊りの最後には踊りの輪が大きくなり、
朝が近づくと燈籠が外され、地面に並べられる。

その燈籠を竿に取り付けて高く掲げ、行者が和讃を唱える。

その後、燈籠を掲げた一行は踊りの場を離れ、最終的には寺院に向かう。
寺院に向かう行列が盆踊りの終わりとなるのだ。
(ここで踊り手が踊りを終わらせまいと燈籠を持った一行を
遮る様が祭のクライマックスとなる)そして燈籠が寺院でお焚き上げされ、
祭の終わりとなる。この風習は現在も続いている。

しかし、一方で気になるのは、こうした風習をどう解釈したらよいか。

先述の折口信夫(一八七七年〜一九五三年)の『盆踊りの話』で調べてみよう。
折口は、盆踊りをこう分析している。

「盆の祭りは、世間では死んだ聖霊を迎えて祭るものであると言うているが、
古代において、死霊・生魂に区別がない日本では、盆の祭りは、
いわば、魂を切り替える時期であった。
即、生き魂・死霊の区別なく取り扱うて、魂の入れ替えをしたのであった。
生きた魂を取り扱う生きみたまの祭りと、
死霊を扱う死にみたまの祭りとの二つが、盆の祭りなのだ」

この「魂の切り替え」というシステムがなかなか分かりにくいのだが、
「外から来た魂を体につけることで不思議な偉力が湧き、
地位のある人はそのようなことをしないと地位を保てない」とする考え方のようだ。
つまり、盆の祭りは死霊のためではなく、
もともと生きている人の「パワー増強」のためであり、
そのために死霊を活用するというアグレッシブなものだったのである。

これが仏教伝来のものと合体したものが「盆の祭り」というわけだ。



ならば、それが「踊り」と結びついたのはいつからなのか。
折口は、この起源は神道にあると考えていた。
夏の末に神が来るとの考え方は神道にもあり、この地方では、
この頃に少女たちが竈を作って遊ぶことが風習となっていた。
少女はこの「盆釜」によって女性として一段階進み、
その状態から山籠りを経て成熟した女性となった。いわゆる通過儀礼である。


この通過儀礼の途中の「盆釜」の頃に、
「小町踊り」というものが少女の間で行われるようになったのは、
室町から江戸時代にかけてという。
(注:ただ、この「小町踊り」と「盆踊り」のつながりには異論も出た。
最終的には、折口の弟子が「盆釜」と「小町踊り」の中間に
「ボンナラサン」という行列を置き、両者の繋がりが見出されたようだ) 

また盆は「良い霊も悪い霊も帰ってきてしまう」ことから、
悪い霊を避けるための「念仏踊り」が必要となった。

さらに、伊勢で神を迎えて帰る道中の踊り「伊勢踊り」も

盆踊りの中に織り込まれていったとされる。

つまり「魂祭り」「小町踊り」「伊勢踊り」の三つの習合が

「盆踊り」になった、というわけだ。
しかし、この盆踊りの魂祭りの部分には
地域の葬送文化も反映されるわけであるから、
地方によって異なる習俗が見られる。
たとえば荒井真帆の「愛媛県怒和島元怒和地区の新盆供養踊りに
関する社会学的考察」(二〇〇六年)では、「一般の踊り」
(アニメの仮装などをしたりして娯楽性が高い)と
「供養踊り」(宗教色が濃い)が別の日に設定されており、
後者の「供養踊り」では、なんと、
新盆を迎えた故人の位牌と遺影を入れた「ハコ」を
背負って踊るというから驚きである。

出会いの場としての盆踊り
一方で、盆踊りの「性風俗」の部分に着目した
研究者が風俗史家の下川耿史である。
下川は著書『盆踊り-乱交の民俗学』において、
民俗学者とはまったく違った角度で盆踊りを見ている。

たとえば、本論においても出てきた「西馬音内盆踊り」の

覆面をした踊り子の姿を、
民俗学者は「生きているものと死んでいるものの境界線を無くすもの」と見るが、
下川は「逢引のための覆面」
(着物の柄で確認し、顔を見られずに意中の相手と逢引をするための道具)と見る。


また、その逢引の起源を万葉集にも詠まれている
古代の「歌垣」(古代の男女の逢引の風習)に見ており、
「歌垣」と盆踊りの繋がりを否定した
折口信夫と真っ向から対立する論を展開している。

下川は「小町踊り」の流行の影響を受けない地方で

歌垣の遺風が盆踊りに取り込まれたこと、
「黒石よされ祭り」などで、実際に「歌垣」がその起源となったことを、
その証拠としている。

また、男女の逢引の意を含む行事だとして、盆踊りは「アウトローな存在」とみなされ、江戸時代では二回「盆踊り禁止令」が発令されている。
江戸時代になると交通網も発達し、盆踊りが共同体内のみの行事の範疇では
収まらなくなったこともある。

決定打は明治時代の「盆踊り禁止令」

(群馬・京都・秋田・島根・新潟・岐阜・香川・千葉など)であった。
しかしその禁止令にもめげず人々は盆踊りを続けるのだが、
明治三十八年には山陰新聞に「盂蘭盆会に際し、若き男女が寺院の境内に盆踊りをなし、黄色い声を出して跳ね回る風習は、種々の弊害を伴う」と報じられた。

男女の逢引の場としての盆踊りの役割は、

こうして西洋的倫理観の流入と共に徐々に消えていくことになった。

アニメソングで盛り上がる寺院
西洋的な価値観が流入したことにより、
性に大らかだった時代の日本の価値観が失われたことは仕方がないことである。
いま現在、盆踊りにそのような役割を求めるのはナンセンスであり、
治安を脅かすことにもなる。
とはいえ民俗学の観点からすれば、
「盆踊りの熱狂」という俗なるものの中に聖なるものが生きていることも分かる。

しかし、既に一九八七年の

「盆踊りに関する大規模調査(四百もの自治会長へのアンケート調査)」の時点で、
盆踊りの約半数が公園で行われており、その主催者はほとんどが自治会やPTAや子供会関係であり、宗教団体主催のものは四百のうち、たった二事例であった。

昭和の時点で既にほぼ宗教団体と切り離されていた盆踊り。


いまや、たとえ盆踊りの会場が神社仏閣としても、

主催者は自治会などが場所を借りて行う事例がほとんどであり、
主催者が宗教団体である事例は稀なのだ。
 
しかし、総持寺(曹洞宗)の盆踊り大会(今年で六十七回目の開催)のような
成功事例もある。




「一休さん」のアニメソングを使用、曲に合わせたキレの良い振り付けの踊りを

僧侶が披露することで、参加した老若男女が踊りを真似て熱狂するという
大イベントと化した。

その様子はインターネット動画サイトに投稿されるようになり、

今では総持寺の盆踊り大会は一躍メジャーな存在となった。


長い歴史の中では「風紀を乱すもの」として憂き目にもあった盆踊りだが、
風雪を経て、盆踊りは、
いまや老若男女が楽しめるイベントとしての変容を遂げている。

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